株式会社エムズウイング 会社の沿革
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昭和22年(1947年)
東京都江戸川区平井にて齋藤製作所を現社長の父親が創業。(袋物金具・アクセサリー製造部門)
祖父も戦前からのがま口(小銭入れ)の金具職人.
昭和27年(1952年)
東京都台東区浅草に合資会社サイトウ商事を設立。(袋物金具・アクセサリー製造販売部門)
昭和30年(1955年)
この時代には珍しく社員旅行はスキーに行っていました。
昭和38年(1963年)
東京都葛飾区立石にあった製造工場に本社移転。
袋物金具・アクセサリー関連の特許・実用新案を多数取得。
昭和43年(1968年)
齋藤伸一 (現・代表取締役 入社)
昭和45年(1970年)
バック用ばね式ホック(マグネ)の量産を開始。
脇に抱えるクラッチバック全盛の時代で月産40万個を生産。
所有する機械に自社開発の電気制御システムを組み合わせて自動化を図り、少人数で大量生産を実現した。
この時の電気制御システム開発の経験が後のスキー用タイム計測器の開発につながった。
昭和55年(1980年)
本業に従事しながら現社長の趣味である競技スキーに関する《ガスボンベ用WAXアイロン》や《ファイルを撓ませるファイルガイド》など多種多様なアイディア商品を開発し実用新案商標登録など多数取得し後のスキー業界進出の基礎となった。
昭和57年(1982年)
スキー用品製造販売を目的にSPプランニング事業部を設立。
本業の一部門としてスキー用品の販売を開始。
この頃、日本に紹介され始めた競技スキーで選手がぶつかると倒れるポール(可倒式ポール)の開発を始める
昭和61年(1986年)
スキー競技用品ブランド『エムズウイング』に統一し製造販売を開始。
雪面に下穴を開けてポールを上から一気に差し込む事が常識だった時代に、均一なスクリューシステムでねじ込む
方式を世界で始めて採用した。
日本の柔らかい雪でも練習中に不用意に抜けないので練習効率も良く好評を得てエムズウイングの主力商品に育った。
この後、この回してセットするのが世界の主流になって行きます。
1985年にグラススキー協会が発足。1987年に野辺山にて第5回世界選手権が開催が決定。
これに先駆けプレ大会が菅平で開催される。協会の依頼を受けて牧草地でセット可能なグラススキー専用ポールを開発しプレ大会で採用された。
昭和62年(1987年)
業務拡大のため現在の四つ木に新社屋建設し移転する。
狭山スキー場グラススキーコース開業。
人工芝の施工をした株式会社アストロから開発依頼を受け本来ポールが差し込めない人工芝斜面にポールを
セットできる専用の可倒式ポールを開発し施工納品した。
昭和63年(1988年)
スキー競技用品ブランド『エムズウイング』に統一し製造販売を開始。
同時にブランド名を社名にした《株式会社エムズウイング》を法人登記。
同年、10月ナショナルチームの海外遠征にサポートスタッフのにサービスマンとして同行するチャンスを頂き参加する。
ビクトリアカップのシリーズ戦で使用するマグネットリリースのデュアルスタートゲートを開発する。
平成元年(1989年)
鉄道資材の製造・販売を開始
JR東日本の依頼で屈折式踏み切り遮断桿を考案し関連特許・実用新案を取得。
ジェイアール東日本旅客鉄道(株)。ジェイアール東日本商事(株)を始め鉄道各社との取引が始まる。
全国紙等の各メディア(日本経済新聞)に紹介され評判を得た。
踏み切りの黄色と黒のシャ断かんの中にスキーのショートポールを入れたら折損事故が劇的に減少した
事から開発が始まった商品です。
平成3年(1991年)
バブルも終焉を迎えた時期ですがスキー業界のコアな愛好家はまだまだ元気でした。
ナスターシリーズにNo,Hcp,Timeなどを表示するタイムボードを開発した。
ハンディキャップを打ち込み時間差でゲートがオープンするシステムや
赤・青のコースを複数の選手がリレーして争う団体戦と言う新たな試合形式も開催された。
また、アルペン競技用に各会場に移動して設置可能な順位表示のタイムボードを開発しました。
平成13年(2001年)
スキー・スノーボードなどの滑走面に採用されているプラスチック素材の表面だけでなく、素材内部の分子レベルまでWAXを深く浸透させる技術を自社開発し特許を取得。《V・Thermo》と命名し商標登録を取得後に発売開始いたしました。
滑走面の表面に付着するだけですぐに剥げ落ちてしまうWAXを滑走面素材に熱と気圧変化で深く大量に浸透させる世界初の技術として高く評価をいただきました。
この画期的な技術はNHKのュース10にて《社員5人が世界に挑む》と放送されました。
NHK総合 ニュース10 「新技術で世界へ」
V・Thermo 特集
平成16年(2004年)
未舗装路用車椅子《LANDEES》ランディーズの製造販売を開始する。
一般的な車椅子では走行出来ない路面でも走行可能で、行けなかった場所に行く事が出来るようになりました。
平成22年(2010年)
3月末日、第2工場を売却し製造機械・倉庫機能を本社に統合して製造効率向上を図る改善を行った。
8月に韓国・ソウルで開催された国際福祉展に出展。東京都中小企業振興公社・国際支援室のご協力を受け大変
有意義な経験をいたしました。
展示会滞在中に多くの韓国企業とのコンタクトをいただき後に弊社にとって大切なパートナーカンパニーとの関係が
スタートした。
平成23年(2011年)
東京消防庁の依頼を受け平成21年から開発をした航空機用救助担架、救助ヘリコプタで使用する堅牢で軽量・コンパクトな三つ折り担架が完成し納入された。特許取得。
中国の異なるエリアにある協力企業2社と契約し、プリント・縫製品・ノベルティーグッズの中国での生産体制を整えた。
生産拠点を国内、韓国、中国と商品によって複数の生産拠点を整備し、価格・品質・デザイン・生産量等、多様なご要望
に答えられる体制になった。
平成24年(2012年)
2月、中国・上海出張、新たな製造委託企業を開拓。
平成25年(2013年)
9月ベトナム・ホーチミン出張。
プリント/縫製の生産委託企業を開拓し高品質の各種ユニフォーム・ゼッケン・ビブス等の製作を開始。
シャ断かん屈折ユニット(JR西日本型)の特許取得し出荷開始。
平成27年(2015年)
5月中国・青島、威海に出張。
プリント/縫製の生産委託企業を開拓し高品質の各種ユニフォーム・ゼッケン・ビブス等の製作を開始。
令和2年(2020年)
COVID-19の世界的蔓延でオリンピック関連の製作物もすべて仕切り直しになりました。
弊社はリスク回避のため工場を各地に分けていましたので長期の工場閉鎖の影響でお客様にご迷惑をおかけする事も少なく生産を続けることが出来ました。
令和2年(2020年)
COVID-19の猛威も日本を襲い2月には3層不織布マスクも品薄になり、価格も高騰し入手できない状態になりました。そこで商売としてではなく身近な人たちから予約を受けて弊社の中国の取引先より7万枚、直接緊急輸入をして皆さんにお配りしました。
令和2年(2020年)
COVID-19の猛威は秋になっても第3波でますます感染者が増え続けています。
withコロナの生活様式の変化が求められマスクとともに生きるため、感染防止機能が高いマスクの製作販売を
開始しました。
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